邯鄲の夢

お能観賞「能楽現在形 劇場版@世田谷」は世田谷パブリックシアターにて。

あいかわらず勉強不足でお話の内容、背景などほとんど知らずに観賞です…。お勉強はぼちぼちでね、いいかなと。

半能「高砂」八段之舞。半能というのは「能楽において付祝言のために、一曲の能を後場に焦点をあて、前場を大幅に略して演じる形態」ということでいきなり華やかで凄い勢いなもんだから、一瞬で私の心に火が付いた。

その後も、シテの舞いもお囃子もとどまることを知らず盛り上がる。最後はお囃子の「いよ~っ パン」でビシッと締め。うわーかっこいい!やばい鳥肌やばい!所作の美しさ、グイグイくるグルーブ、神秘的で独特の空気感、心奪われるポイントが多すぎて大変だった。ああ、高砂最高。

次は、能「邯鄲」。栄枯盛衰の極めてはかないことをたとえた「邯鄲の夢」という言葉の原典となるお話なんだそう。

目的も夢も見いだせずに日々を過ごす青年が旅に出て、とあるお宿に泊まった。お宿の女主人が粟のご飯の炊き上がるまで「この枕でお眠りください」と邯鄲の枕を渡す。その枕で眠った青年は、夢の中で帝の地位を譲られ、栄耀栄華の毎日を過ごす。そんなこんなで50年が過ぎる。夢の中で。でも、現実の世界ではちょうどご飯が炊けるくらいの時間しか経っていない。女主人が「粟のご飯が炊けたよ」と起こす。そこで青年は「栄耀栄華もなにごともひとときの夢だ」と悟り、女主人に「また来てね」と見送られ故郷に帰る。

そんなお話。なんか「夢も希望もございません。現実そんなものなのです」と言われたような感じがしたけど、そういうことじゃなくて、「欲にかられちゃいけないよ」「現実に文句ばかり言ってても何も変わらないよ」ということなんでしょうかね?(↓にちょっと追記)

能楽現在形ということで、ライティングや舞台セットも工夫されていて、すごく面白かった。

能楽現在形 劇場版@世田谷
半能 「高砂」
能  「邯鄲」

【追記】
『「欲にかられちゃいけないよ」「現実に文句ばかり言ってても何も変わらないよ」ということなんでしょうかね?』と書いたけれどなんか足りない感じ。うーんと、贅沢極まりない煌びやかな人生も、そこそこ生活できるくらいの慎ましやかな人生も、過ぎてしまえば同じこと。ふむふむ。「縁あって今携わってる仕事を一生懸命やって、今の自分に合った愉しみを見つけていこうよ」と、そう思った。

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