2010年01月の記事を集めたページ


邯鄲の夢

お能観賞「能楽現在形 劇場版@世田谷」は世田谷パブリックシアターにて。

あいかわらず勉強不足でお話の内容、背景などほとんど知らずに観賞です…。お勉強はぼちぼちでね、いいかなと。

半能「高砂」八段之舞。半能というのは「能楽において付祝言のために、一曲の能を後場に焦点をあて、前場を大幅に略して演じる形態」ということでいきなり華やかで凄い勢いなもんだから、一瞬で私の心に火が付いた。

その後も、シテの舞いもお囃子もとどまることを知らず盛り上がる。最後はお囃子の「いよ~っ パン」でビシッと締め。うわーかっこいい!やばい鳥肌やばい!所作の美しさ、グイグイくるグルーブ、神秘的で独特の空気感、心奪われるポイントが多すぎて大変だった。ああ、高砂最高。

次は、能「邯鄲」。栄枯盛衰の極めてはかないことをたとえた「邯鄲の夢」という言葉の原典となるお話なんだそう。

目的も夢も見いだせずに日々を過ごす青年が旅に出て、とあるお宿に泊まった。お宿の女主人が粟のご飯の炊き上がるまで「この枕でお眠りください」と邯鄲の枕を渡す。その枕で眠った青年は、夢の中で帝の地位を譲られ、栄耀栄華の毎日を過ごす。そんなこんなで50年が過ぎる。夢の中で。でも、現実の世界ではちょうどご飯が炊けるくらいの時間しか経っていない。女主人が「粟のご飯が炊けたよ」と起こす。そこで青年は「栄耀栄華もなにごともひとときの夢だ」と悟り、女主人に「また来てね」と見送られ故郷に帰る。

そんなお話。なんか「夢も希望もございません。現実そんなものなのです」と言われたような感じがしたけど、そういうことじゃなくて、「欲にかられちゃいけないよ」「現実に文句ばかり言ってても何も変わらないよ」ということなんでしょうかね?(↓にちょっと追記)

能楽現在形ということで、ライティングや舞台セットも工夫されていて、すごく面白かった。

能楽現在形 劇場版@世田谷
半能 「高砂」
能  「邯鄲」

【追記】
『「欲にかられちゃいけないよ」「現実に文句ばかり言ってても何も変わらないよ」ということなんでしょうかね?』と書いたけれどなんか足りない感じ。うーんと、贅沢極まりない煌びやかな人生も、そこそこ生活できるくらいの慎ましやかな人生も、過ぎてしまえば同じこと。ふむふむ。「縁あって今携わってる仕事を一生懸命やって、今の自分に合った愉しみを見つけていこうよ」と、そう思った。

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大日本森見會御一行様

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先日開催された「大日本森見會大新年会2010」。店内のテレビのチャンネルはNHK。流れるは演歌。歌が上手すぎる布施明。テーブルの上にはグツグツ煮える寄せ鍋。隣には日本酒をちびちびやる友。前には畳敷きの和な空間がやけに似合う友。しみじみくる宴であった。今年は森見會にとって飛躍の年になるにちがいない。

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3連休

かわいい一角

3連休。1日目は北鎌倉へ。「近為」さんでちょいと贅沢にお昼ご飯を食べた。魚の焼き加減がよい。柚子こぼしというお漬物が美味しい。柚子好きのだんなさんのおみやげにした。東慶寺と円覚寺を散策し、フィルム1本撮り切った。

桜木町まで戻ると、写真屋さんを見つけた友達が「よし、現像してもらってすべてをつまびらかにしよう」と提案。一気に血の気が引いた。が、仕上がりは翌日とのことで運良く危機は免れた。今回は免れたが、いじわる隊(自ら命名された)に所属する友達のことなので、近く「当日現像つまびらか大会」は実施されるんだろう。
夕食後、お互いのブログについて話をする中、私はまたやってしまった…。言葉のチョイスを間違えて、巨匠級の大胆発言…。恐れおののき、ひれ伏す友たち…(笑)

どうも私は言葉のチョイスを間違いがちらしい。言葉を選ぶ際にボリューム調整が出来てないようだ。笑いすぎて涙出た。

2日目。OM-1修業。稲毛を歩いた。海岸でパッション迸る瞬間が2度ほどあったのだが、どんなふうに撮れているだろうか。楽しみなような怖いような。夜はお雑煮を作ったが、田舎からもらったお餅が無くなり、スーパーで買ったお餅だったから、ちょっと物足りなかった。田舎からもらうお餅は固さがまだらで美味しいのです。均一だとつまらない。

3日目。CD棚を整理。次のお休みには本棚を整理したい。午後はダンナさんとお気に入りの珈琲屋さんへ。読書と会話が半々くらい。

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おお、アスパラガス!ミニ…

昨晩の「ギンビス アスパラガス」の続き。友達のとこでは「アスパラガスがオフィスグリコに入っていて久しぶりの再会をした」とのことだった。今朝、我が事務所にグリコのお姉さんがやってきた。余談ですがうちの担当のお姉さん、毎回消え入りそうな小さな声で「グリコですぅ…」と入ってくるので、お帰りになったあと、毎回「グリコですぅ…」と真似しちゃうんですが。
さてさて、新しい商品が入荷されたということは?!もしやもしや、入っておるのかアスパラガスが?!と早速引き出しをのぞいたら…
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入ってた!なんかわらけた!
しかし、ミニサイズなんだねぇ。パッケージも透明面積多めな感じじゃないんだねぇ。正式なアスパラガスが食べたい。思い出のごま風味を再び。

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おお、アスパラガス

友達のとこでギンビスのアスパラガスを久しぶりに食べた!という記事を読んで、あまりの懐かしさに食べたくて食べたくていてもたってもいられなくなった。仕事帰り、行きつけの西友でアスパラガスを探し求めたが見当たらない。オールレーズンはあるけどアスパラガスはない。
悲しみに包まれる中、廉価版?の「ごまビスケット」を見つけた。これを食べてもむなしくなるだけじゃないかと思ったけど買ってしまった…。で、食べたら、アスパラガスとほぼ同じ味でとても美味しいんだけどなんか違う感じ。形状もナミナミになっていないし、やはりパッケージがあのパッケージでなくちゃ物足りない。
おお、アスパラガス。どこにゆけば会えますか?

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あけましておめでとうございます

お正月の記録。

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1日。だんなさんの実家にて過ごす。姪っ子ちゃんと「THIS IS IT」話しで‘超’盛り上がった。マイケル最高。チョロギというのはまったくへんてこな形でへんてこな名前の食べ物だ。

2日。大阪帰省。4日まで滞在の予定。
帰省前のこと。母からの電話で「お母さん、最近、すごいうれしいことあってん。長くなりそうやから帰ってきてからじっくり話すわ」と宣告された。「なんやめちゃめちゃウキウキしてはる。これは長編になりそうだ…。受けて立ちますよ。私も、毎回韓流ドラマ全何十話分をダイジェストで聞かされたりして鍛えられてるので、うなずき、合いの手には自信がありますから。まあ、合いの手なくても、関係なくしゃべるんやろうけど」なんて思ったりしながらの帰省。実家に到着後、近況報告もそこそこに、さっそく母の嬉しかった話しになった。キタ。

それは、定時制の高校に通ってたころの友達よねちゃん(仮)からの電話で明らかになったこと。
当時、母は、知り合いの同年の男子にお互い友達を集めてどこかに行こうと誘われ、男女混合8人ほどでハイキングに行った。このときの男性の一人、中尾くん(仮)は、母のことを素敵な人だとえらく憧れた。母にアタックしたいと思ったが、主催の男子と恋仲なんだろうと勝手に思い込んであきらめようとした。だけど、思い切れなくて、職場の近くを何度もウロウロ。でも、結局は勇気がなくて声がかけられず、母のような素敵な人は自分よりお似合いの人がいるだろうとあきらめた。

そんなお話だった。よねちゃんによると、ごくごく最近、何十年ぶりに中尾くんと電話する機会があって、そのときに「じつは当時…」と告白があったのだそう。母にすると、そんなふうに手の届かぬ憧れの女性と思ってくれていた男性が一人でもいたという事実が、そして、今でも大事な憧れの女性として記憶に存在し続けていたことが嬉し恥ずかしいらしい。

うん、それは嬉しいよなあ。還暦も過ぎたその歳になって知るというのがなんとも素敵じゃないですか。
と、ここで終わったら心がほっこりするいい話しなのに、大阪の血がそうさせるのか、「な。ええ話やろ?(うんと言うしかない) ほんでも、今、中尾くんと再会したら綺麗な思い出もぶち壊しやな~。絶対会わんほうがええなあ。わは!」と笑い飛ばす母。

まあ、そうですね。綺麗な思い出のままで。
そんなことを聞いてしまったら高校時代のアルバムを見たくなるねという流れになり、嫌がる母を説き伏せて見せてもらった。いやぁ、当然ながら母、めちゃ若い!ぱちんぱちん!中尾くんはとてもさわやかな青年だった。
アルバムの中に、文化祭での仮装パレードの写真があった。母はちっこいくせに、流れものの侍みたいな格好をしていた。そのチョイスに笑った。

3日。学生時代の仲間で毎度の新年会。すき焼き食べて、娘ちゃんとオセロやらトランプやら白熱の対戦。面白かった!毎年こういうふうに集まれることはほんとにありがたいです。

4日。おばあちゃんちにご挨拶。90歳になるおばあさんはまだまだ元気。私は、母と伯母と祖母の3人の会話に1%くらいしか入り込めず。次から次へとハイスピードで交わされる会話に上手く切り込むテクニックがない。私はまだまだ未熟者だねと思った。6月に弟の結婚式で親戚集合するので、もう少し切り込めるようになっておきたいところ。

5日。仕事開始。
そんなこんなで今年もいろいろまぜこんでいきたい。どうぞよろしくお願いします。

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