昭和の名人

今日は自宅にてお仕事だったのですが、夕方から時間が出来たので、シネマ落語「落語研究会 昭和の名人」を見てきました!

この映画を知ったキッカケは「東京かわら版」。11月から定期購読し始めた。かわら版を見ていると、毎日いろんなところでこんなたくさん寄席やってるのかぁと嬉しくなる。と同時に、あれもこれも行きくなってひじょうに困る!

やっぱり寄席は楽しいもの。噺家さんとお客さんとの呼吸がピターっと合う瞬間というのはたまらないものがある。いつのまにやら噺の世界に巻き込まれて夢中になって。まだまだ、寄席体験が少ないので、もっと足を運びたい。

と、映画の話に戻して。館内は空いてるだろうなぁと思ったらそんなことはなく、7割くらいは埋まっていた。お客さんは老若男女さまざま。

映画はたいへん面白かった!まあ、面白くないわけないか。昭和の名人といわれる落語家たちなんだから。

しかし、落語家ってすごいなーと改めて思った。座布団の上に座って動き回ることもなく、舞台セットもなく、共演者もなく、ぜーんぶ一人でやって、あれだけお客さんを惹きつけるなんて。でも、たいてい、「毎度馬鹿馬鹿しいお笑いで」とか、「寄席なんてね、何もすることのない暇な人が来るもんなんですよ」とかなんとか言ってかるーく見せる。その実、噺がはじまると真剣勝負。くーっ、なんてかっこいいのやろ!

八代目 桂文楽(1892年11月3日 – 1971年12月12日)「明烏」(’68)。
「見終わったあと、超甘納豆食べたくなった~!」って感想を書こうと思ってたけど、書く前にウィキペディアで最後の高座のところを読んだら、おいそれとは書けない感じになってしまった。最後の高座、途中で降りるというのはどんな思いだったかしら。ああ、切なすぎる。袖で受け止めた出口さんの涙を想像してぐっと胸にきた。

でも、ほんとに甘納豆食べるとこ最高だったんですよ(結局書くんかい)。ふてくされながらモソモソ食べてる姿は、もう、すごい甘納豆!これだけで30分は見ていられるかもしれない。当時のお客様たちも拍手。甘納豆食べて拍手。

三代目 古今亭 志ん朝(1938年3月10日 – 2001年10月1日)「抜け雀」(’72)。
一文無しのくせにやたら偉そうな客と、それに応対する宿屋のだんなのやり取りが超面白い!最後はじーんときたりもして。小気味良いテンポでグングン巻き込まれた。志ん朝さんがもう少し長く生きてらっしゃったら、どんな落語が聞けたのだろうと考えずにはいられない。うーん、悔しい!

十代目 金原亭 馬生(1928年1月5日 – 1982年9月13日)「親子酒」(’78) 。
酔ったせがれが帰ってくるとこで爆笑してしまった。ほかのお客さんもわろてた。このせがれが帰ってくるシーン、「もっぺん巻き戻してみたい!」と思うほどだったけど、引っ張らずにサッと次のシーンへ行くのがニクイ!間が絶妙!たまらん!

ああ、お酒飲めるようになりたい。熱燗をおちょこで酌み交わしたい。なんで、若いころに訓練しておかなかったのか。つまらん人間やなあ。

六代目 三遊亭圓生(1900年9月3日 – 1979年9月3日)「掛取万歳」(’73)。
圧巻。歌って踊って喧嘩して芝居して漫才して。ものすごい贅沢だった。でも、噺の内容は借金ちょろまかす話。おもろい!

それぞれ、噺は30分ほどだったけど、総じて、「まだまだ見たい!聞きたい!」と思った。ああ、おもしろかった!この映画は入れ替えなしだったから、時間があればもう1回見たかったなあ。

帰り際、前を歩いていたおばさまたちが「志ん朝はやっぱりいい男ねえ。惚れ直しちゃったわよ。」と話していて、なんかいいなあと思った。私も今からたくさんの噺家さんを見て聞いて、おばあさんになったら「やっぱり○○はいいわねえ。惚れ直しちゃったわ。」と言いたい。

名人芸を見ておきながら、お粗末な感想文で申し訳なく思いつつも投稿させていただきます。

pagetop

コメントを書く

コメント内容
*